|
 
秩父宮記念スポーツ博物館・図書館
ホームページはこちら
アクセス
■所在地
東京都新宿区霞ヶ丘町10番2号
03-3403-1159
■最寄り駅
・JR総武線(各駅停車)
千駄ヶ谷駅下車 徒歩5分
・JR総武線(各駅停車)
信濃町駅下車 徒歩8分
・東京メトロ銀座線 外苑前駅下車
徒歩15分
・都営地下鉄大江戸線
国立競技場駅下車(A2出口)
徒歩1分 |
 |
| 拡大する |
|
 |
1932年、アメリカ西海岸ロサンゼルスで第10回オリンピックが開催されました。
日本はその前年の31年、東京市会で1940年に第12回オリンピック競技大会を開催する招致決議案を満場一致で決議し、その勢いをかってロサンゼルス大会では主催国アメリカに次ぐ大デレゲーションを組んで参加したのです。
日本は陸上・水泳競技で目覚しい活躍をみせました。
そして8月14日の閉会式に先だち、約10万人の観衆が見守る中、馬術の大章典障害飛越競技(グランプリ)が行われました。
その競技に騎兵中尉・男爵の西竹一氏(バロン・ニシ)が登場したのです。
この競技は、大小19もの障害物(柵及び水郷)を飛び越える競技で、無事飛び越えることができたのは11名中5名という難度の高い過酷な競技でした。
当時、満州事変等日本の国粋主義の台頭や、勤勉な日本人のロサンゼルス移民等により、日米関係は冷え切っていました。
そんななか、男爵(バロン)の称号を持ち、英語を流暢に話し、約180センチの体におしゃれな髪型をし、なおかつアメリカでも珍しいラジオ付のスポーツカー・パッカードに乗って練習に行くという目立つ行動を見せていた伊達男がバロン・ニシだったのです。
ハリウッドの女性が目をつけないわけがありません。夜な夜な宿舎を抜け出し、酒とバラの日々を送っていました。
バロン・ニシは、1902年(明治35年)西徳二郎男爵の三男として東京麻布に生まれました。
竹のように健やかに育って欲しいという思いで竹一と命名されました。
西氏が10歳のとき、父がなくなり、爵位を継ぐこととなり、血気盛んな西氏は14、5歳の頃にはカメラ、空気銃に親しみ、スピードに熱狂し、オートバイではハーレーダビッドソン、車は金色に塗られたクライスラー、モーターボートに入れ込んでいきました。
しかし、最も愛したのは馬であり、馬術であったのです。
また、それ以上に愛したのは、奥様となった武子さん、長女の淑子さん、長男の泰徳さんでありました。
武子夫人のもとにはロサンゼルスから1枚の葉書が送られてきたことがあります。
内容は「オレはもてている。アバヨ。」でした。
バロン・ニシについては、書ききれないくらいのエピソードがあります。
次回、後編では、名馬との出会い、ロスでの活躍、そして、戦死のエピソードを書くことにしましょう。
こちらのコラムは、メールマガジンでも配信しております(PC版のみ)。
メールマガジンの購読を希望される方は、こちらからご登録ください(登録無料)。
※Club toto会員またはローソンパス会員、ファミマカード会員(toto利用サービス申込者)の方は、当サイトの「会員メニュー」内の「登録情報変更」から、ご登録ください。 |
|
|