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秩父宮記念スポーツ博物館・図書館
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アクセス
■所在地
東京都新宿区霞ヶ丘町10番2号
03-3403-1159
■最寄り駅
・JR総武線(各駅停車)
千駄ヶ谷駅下車 徒歩5分
・JR総武線(各駅停車)
信濃町駅下車 徒歩8分
・東京メトロ銀座線 外苑前駅下車
徒歩15分
・都営地下鉄大江戸線
国立競技場駅下車(A2出口)
徒歩1分 |
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1945年2月19日、アメリカ軍は硫黄島に上陸しました。
硫黄島は太平洋戦争最大の激戦地で、若き兵士たちが今でも眠っている島です。
硫黄島協会では毎年遺骨を探し出し、東京千鳥が淵にある戦没者墓苑にまつられています。また、アメリカの遺族と日本の遺族が硫黄島にて交友を深めています。
当時、数においても圧倒的であったアメリカ軍は、砲撃、火炎放射により日本軍はほとんど全滅に近い打撃を受けました。
その中に戦車第26連隊長であったバロン・ニシ(西竹一氏)がいました。
以前は騎兵隊に在籍していましたが、この時代は、馬ではなく鉄の<馬>の時代に移り変わっていました。
西氏は、愛用していたエルメスの乗馬靴、鞭、愛馬ウラヌス号のたてがみを身に着け、1945年3月21日、42歳という若さで帰らぬ人となりました。
このへんはクリント・イーストウッド監督の映画「硫黄島からの手紙」にも描かれています。
第10回ロサンゼルス・オリンピック(1932年)、西氏は愛馬ウラヌスに騎乗し、障害飛越競技で金メダルを獲得しました。馬術界では、後にも先にもメダルを獲得した者は、西氏ただ一人です。
西氏が硫黄島にいることを知ったアメリカ軍は、バロン・ニシに、「バロン・ニシ。あなたはロサンゼルスで限りなき名誉を受けた。降伏は恥ではない。我々は勇戦したあなたを尊敬を持って迎える」と投降を呼びかけましたが、西氏は何も答えなかったといいます。
西氏が戦死した約1週間後、東京・世田谷の馬事公苑で老後を過ごしていたウラヌスも眠るように息を引きとったといいます。戦後、硫黄島の地下壕からは西氏愛用の乗馬靴につける拍車が見つかり、長男・泰徳氏が大切に保管しています。
西竹一氏の活躍と波乱万丈の生き方については、次号にて。
乞うご期待。
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