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秩父宮記念スポーツ博物館・図書館
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アクセス
■所在地
東京都新宿区霞ヶ丘町10番2号
03-3403-1159
■最寄り駅
・JR総武線(各駅停車)
千駄ヶ谷駅下車 徒歩5分
・JR総武線(各駅停車)
信濃町駅下車 徒歩8分
・東京メトロ銀座線 外苑前駅下車
徒歩15分
・都営地下鉄大江戸線
国立競技場駅下車(A2出口)
徒歩1分 |
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前回に引き続き、日本のオリンピック初参加までの道のりをご紹介しましょう。
ストックホルム大会の前年の1911年11月、国際オリンピック予選会が羽田競技場で開催された。参加資格条件は(1)学校長、市町村長などの推薦状有する者とし、(2)16歳以上 (3)品行方正にして学生たり、紳士たるに恥じない者(抜粋)というものであった。当時のスポーツ普及状態から、運動会で盛んに行われていた陸上競技のみの予選会であった。「オリンピック」という耳馴れない選考会であったが、91名もの参加者を数えた。ちなみに、「予選会の旅費及び滞在費は自弁。オリンピック派遣に関する旅費及び滞在費は大日本体育協会にて支弁する」となっていたが、結局は、現在の金額で約300万円を超える費用は自腹であった。
さて、予選会が行われた羽田陸上競技場は、現在の羽田空港滑走路付近にあった羽田村の海辺寄りに造られた。協会総務理事であった大森兵蔵氏が、土地の所有者であった京浜電気株式会社と交渉し、自転車練習場であったこの場所が選ばれた。この競技場は、1周400mという本格的なものであったが、コーナーには、高低差76cmのバンク(カーブに沿って外側を高くした傾斜面)があり、100m競走の場合は杭を立てて紐を張ってセパレートコースとしていた。
交渉では、今後全ての競技会はこの競技場で行うことを条件に造られたが、結局はこの予選会のみ使われ、華やかな舞台となることはなかった。これは大森兵蔵氏が翌年肺結核で亡くなったためとも言われている。その後は、海辺寄りという悪条件で潮水等で荒れるにまかせるままとなったという。
競技種目は12種目で、この時のルールは、大森兵蔵氏が翻訳したアメリカのルールで、フライングをした場合は「200m以下の競走は反則したごとにスタートを1m下げ、400・800mは2m下げる」というハンディキャップレースのようなものであった。
今までの実績や記録を検討して、結局、三島弥彦氏(400m)と金栗四三氏(マラソン)と決まったが、オリンピックではともに途中棄権というものであった。
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