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秩父宮記念スポーツ博物館・図書館
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アクセス
■所在地
東京都新宿区霞ヶ丘町10番2号
03-3403-1159
■最寄り駅
・JR総武線(各駅停車)
千駄ヶ谷駅下車 徒歩5分
・JR総武線(各駅停車)
信濃町駅下車 徒歩8分
・東京メトロ銀座線 外苑前駅下車
徒歩15分
・都営地下鉄大江戸線
国立競技場駅下車(A2出口)
徒歩1分 |
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前回に続き、スポーツ博物館をご案内しよう。
さて、前回は入口の講釈をしましたが、これからはメインディシュに入っていきますぞ。
スポーツ博物館に入って階段を上がると、『古代オリンピックコーナー』となります。
ここからオリンピックの歴史がはじまります。
ここには、古代オリンピアの復元模型や古代競技のレリーフなどなどの展示をしています。
古代オリンピックは、近代オリンピックと全く異質なものといっていいでしょう。それは、4年に1回の夏に行われる競技で、ゼウスの神に捧げる「祭典=神前競技」でありました。ま、日本でいうとお正月と思ってくれればよろしい。
古代ギリシャの祭典には、ネメア祭、ピュティア祭、イストミア祭というお祭り競技があり、そして、最大規模であるオリンピア祭(=古代オリンピック)がありました。これが古代オリンピックと呼ばれる由縁です。
記録によれば、最初のオリンピア祭が行われたのは紀元前776年で、その後1000年以上にわたって続いたといわれています。
当初、競技は個人競技だけであり直走路のスタジアム(約192m)を走るだけであったといわれていますが、その後、五種競技や馬車競技など時代とともに種目が増えていきました。
ちなみに直走路の距離を1スタジオンと呼んでいました。これが現在のスタジアムの語源といわれています。
競技は女子禁制で、男と証明するために競技者は全裸で競技を行っていたんです。また、祭典の行われる前後の期間は、休戦協定が各ポリス(都市国家)間で結ばれていました。
優勝者への賞は、オリーブの冠が与えられることと、自分の彫像を神域に建てることが許されるのみであったのです。
今の近代オリンピックからは想像できない面がありますね。
でも、各ポリス(日本では各県みたいと思ってください)に帰ると様々な特典(褒賞金、年金、免税、一生食事が無料など)が与えられるため、しばしば買収や八百長が行われました。
ギリシャがローマに支配されると、オリンピア祭はローマ人にとっての観光行事的存在と化し、また、競技者の国際化・プロ化も進み、ギリシャ人の祭典競技という意味が薄れていってしまいました。
392年、ローマ皇帝テオドシウス1世は、キリスト教を国教と定め、多神教であったオリンピアの祭典を含め異教禁止令を発令します。
さらに、426年、皇帝テオドシウス2世の出した異教神殿破壊令によって、オリンピアの神殿は完全に破壊され古代オリンピックは終りを迎えたのでありました。
近代オリンピックにも光と影があるように、古代オリンピックも同じような光と影があったんですなあ。
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